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人生朝露

人生朝露

無何有の郷と"Nowhereman”。

ところがどっこい。
荘子です。

現在は、
John Lennon
ジョン・レノン(John Lennon(1940~1980))と荘子です。

参照:当ブログ 荘子と進化論 その53。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/diary/201006190000/

中期のビートルズの楽曲、特にジョン・レノンの詩には荘子との関連が明白に見られるんです。分かりやすいのは「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」、「アイ・アム・ザ・ウォラス」、「フール・オン・ザ・ヒル」「レボリューション」・・・意味が分からない歌詞が多いんですが、荘子を通すと読めるものばかりなんです。ところが、オンタイムでビートルズに触れた連中がどいつもこいつもろくに古典を読んでいないので、あれに気付かなかったんでしょう。

おそらく、ジョン・レノンが荘子を使ったのは、「Nowhere Man(ひとりぼっちのあいつ)」からだと思われます。

“He's a real nowhere man
Sitting in his nowhere land
Making all his nowhere plans
For nobody.”
「彼はほんとにどこにもいない人、どこにもいない土地に住み、誰の役にも立たないプランを、だれのためにでもなく練っている」

“He's as blind as he can be,
Just sees what he wants to see,
Nowhere Man can you see me at all?”
「彼は盲目同然で、見たいものしか見ていない。Nowhere Man、あなたは僕のすべてをお見通しなのかい?」

“Doesn't have a point of view,
Knows not where he's going to,
Isn't he a bit like you and me?”
「彼は、なんにも視点がない。どこに行こうとしているかも分からない。ちょっと僕や君と似ていないか?」

参照:YouTube Nowhere Man
http://www.youtube.com/watch?v=AvLj72apGLI

意味が分からないでしょ?
でも、これは、荘子を通すと一撃です。

Zhuangzi
“"Well," answered Lien Shu, "you don't ask a blind man's opinion of beautiful designs, nor do you invite a deaf man to a concert. And blindness and deafness are not physical only. There is blindness and deafness of the mind. His words are like the unspoiled virgin.”
連叔曰「然、盲者無以與乎文章之觀、聾者無以與乎鐘鼓之聲。豈惟形骸有聾盲哉?夫知亦有之。是其言也,猶時女也。」(『荘子』逍遥遊 第一)
→連叔は言う。「確かに、盲者は文章を目で感じ取ることは出来ず、聾者は鐘の音を耳で感じととることはできない。ただ、それは肉体において見えないとか聞こえないなどという話だ。知者と呼ばれる人の中にも、真実を見ることや聞くことが不自由な者がいる。それは、あなただ。」

“Now if you have a big tree and are at a loss what to do with it, why not plant it in the Village of Nowhere, in the great wilds, where you might loiter idly by its side, and lie down in blissful repose beneath its shade? There it would be safe from the axe and from all other injury. For being of no use to others, what could worry its mind?”
莊子曰「今子有大樹、患其無用、何不樹之於無何有之郷、廣莫之野、彷徨乎無為其側、逍遙乎寢臥其下?不夭斤斧、物無害者、無所可用、安所困苦哉。」(『荘子』逍遥遊 第一)
→荘子は言った。「あなたはせっかく大きな木を持っているのに、役に立たないなどと嘆いている。ならば、この役に立たない木を『無何有の郷』に植え替えて、広々とした大地でその木の周りをぼんやりと逍遥し、のんびり昼寝でもしたらどうだい?斧で切り落とされる心配もなく、無用なもののようでいても、少しも困ることはないよ。」

「Nowhereman」は『荘子』の冒頭、「逍遥遊篇」と一致するんです。荘子の理想郷『無何有の郷』を英訳すると、“Village of Nowhere”なんですよ。「ひとりぼっちのあいつ」というのは荘子に他ならないんです。

以上 Chuang Tzu Lin Yutang, Translator より引用
http://www.personaltao.com/tao/chuang_tzu.htm

となると、

Beatles - Strawberry Fields Forever
http://www.youtube.com/watch?v=S7uBrx5aJ20&feature=related

“No one I think is in my tree. I mean it must be high or low. That is you can't you know tune in but it's all right. That is I think it's not too bad”

「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」の↑の詩も、「逍遥遊篇」のものと同じ意味になります。ただし、この頃になると、ジョン・レノンは本当にちゃんと「荘子」を読み込んでいることがはっきりとしてきます。全編読みきってます。しかも、おぼろげながらもモノにしているんですよ。

ジョンの魂。
大きな木の下でのんびりと昼寝する『無何有の郷』というのは、『ジョンの魂』のジャケットにも使用されていますが、これは東洋人の自然に対する感覚にインスパイアされている結果でありましょう。

で、「Nowhereman」は、1965年の曲です。面白いことに、オノ・ヨーコに出会ったのは1966年ですから、その前に別のルートからジョンは荘子に触れていたことになります。

個人的には1964年の段階でジョンとの交流を始めた、
Bob Dylan
ボブ・ディラン(Bob Dylan(1941~))に教えてもらったのではないか?と推測しています。思想と作品と行動に連続性があって、あの当時のジョンを導き得る人物というと、ディランだろうと。もっというとアレン・ギンズバーグとか・・・西洋人の見つめる「荘子」と「禅」の関係からもそう考えるのが自然でしょう。(同時にクスリも教えているのが気に入らないんですが)いわゆる「ビート・ジェネレーション」であったり、「ビートニク」といわれる現象の火付け役たちです。彼らの禅仏教に対する理解は、並じゃないですよ。同時に鈴木大拙の偉大さを思い知るわけですが。

参照:Bob Dylan turns The Beatles on to cannabis
http://www.beatlesbible.com/1964/08/28/bob-dylan-turns-the-beatles-on-to-cannabis/

Wikipedia ビート・ジェネレーション
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%8D%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3

ちなみに、
Zhuangzi
荘子のいう、「無何有の郷“Village of Nowhere”」というのは、日本人には本当に古くから親しまれていまして、

・吾輩のような碌でなしはとうに御暇を頂戴して無何有郷に帰臥してもいいはずであった。 (「吾輩は猫である」夏目漱石)

・或一群の芸術家は幻滅の世界に住している。彼等は愛を信じない。良心なるものをも信じない。唯昔の苦行者のように無何有の砂漠を家としている。(「侏儒の言葉」芥川龍之介)

・千里に旅立てみち粮をつゝまず、三更月下無何に入と云けむ、むかしの人の杖にすがりて、貞享きのえね秋八月江上の破屋を出るほど、風のこゑそゞろ寒げなり。野ざらしをこゞろに風のしむみかな (「野ざらし紀行」松尾芭蕉)

・・・それどころじゃなくて、

・「心乎之 無何有乃郷尓 置而有者 藐狐射能山乎 見末久知香谿務 (心をし無何有(むかふ)の郷(さと)に置きてあらば藐孤射(はこや)の山を見まく近けむ) (「万葉集」より 山上憶良)

『荘子』ってのは、聖徳太子が読んでいるくらいの本ですから、時代感覚がずれてしますが(笑)、「無何有の郷」という言葉は、千数百年の間、日本人に親しまれてきたものなんですよ。かつては日本人の基礎知識だったものの、大正あたりから荘子読みが激減して、雰囲気はわかっても、原典が分からないままの状態にあると言っていいと思います。

参照:荘子 古今東西。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5038

「無何有の郷」とは、分かりやすい言葉では「心のふるさと」です。同時にこれは我々の内なる自然でもあるわけでして。こういうのを「形にできる能力」ってのは、日本人はずば抜けていると思います。

参照:まっくら森の歌
http://www.youtube.com/watch?v=7nqmQbqUzNc&feature=related

これに近い感覚をすでにジョン・レノンは持っているわけです。後に「アイ・アム・ザ・ウォラス」で使っている、森に迷い込んだアリスもこんな感じです。

参照:Norwegian Wood (This Bird has Flown)
http://www.youtube.com/watch?v=KkcRZSdc8us

ビートルズの楽曲の邦題は的外れなものが多いなか、これを「ノルウェイの森」と訳せたのはすばらしい!

ビートルズ 来日 1966。
1966年6月28日。彼らが日本に「やってきた」と言いますが、五十年近く日本人がろくに読めなくなった教えから見れば「帰ってきた」と言うべきだったかも知れません。

参照:The Beatles - Nowhere Man (Live in Japan 1966)
http://www.youtube.com/watch?v=0cj6zHzTumE

“Nowhere Man, please listen,
You don't know what you're missin',
Nowhere Man, the world is at your command.”
(聞いてくれよ、Nowhere Man。あなたは勘違いしてないか?世界はあなたの教え次第だというのに。)

Rubber Soul
というわけで、今後も“Rubber Soul”→「柔の心」について考えていくのココロだ~~♪

今日はこの辺で。


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